ゴジラの話ではありません。 (かまた君は可愛いと思います。)
こないだ久々に商業のテキスト主体ゲーム(ぶっちゃけ乙女ゲー)を遊んだのですが、ゲームのストーリーそのものはさておき(さておくのか)、個人的に最も気になったのが、世界設定がファンタジーであるにも関わらず、出てくるお菓子の名前が「ルクマデス」とか「クルラキア」とかの現実に存在し、場所が限定され、かつ一般的でないものだったことでした。
そこかよ! って話なんだけど。 そこだよ、重要だよ!
ルクマデスもクルラキアもギリシャのお菓子なんだけど、名前で味が想像付かないでしょ? (ちなみにルクマデスはドーナツ、クルラキアはビスケットです) (何で私が知ってるかというと人生の大半を食べ物のことを考えて過ごしてきたからだ)
ファンタジー世界って設定に対してどれくらいリアリティを持てるかが全てだと思うんだけど、どうもこの部分に代表されるように、詰めが甘いというか……一般的でないものを出すことによってファンタジー感を出そうとしている……んだろうと思うんだけど、ちょっと違うんじゃないかなあ、と。
ファンタジーにリアリティを持たせるというのは、現実的な感覚をどう感じ取って貰うか、ということだと思うんですよ。 風景なり感情なり味なり。 その上で現実では起こりえない不思議なことが起きるから、ファンタジーを感じ取って貰えるんじゃないかと私は思います。
例えばゲーム内に出てきたお菓子が「ジェラード」だったら、主人公たちが目の前にしているものはどういう見た目をしていて、どういう味で、早く食べないと溶けちゃうなあ……というのをみんな無意識に感じると思うんですが、「ルクマデス」っていう言葉を目にして、ふわふわもっちりのイーストドーナツで、甘いシロップかお砂糖が掛かっていて、熱々だから早く食べないと冷めちゃう!……なんて思わないでしょ?(そしてゲーム内での説明は「甘いお菓子」程度だったと思う)
それで思い出したのが「指輪物語」のトールキン先生が「物語に出てくる言葉は全て可能な限りその国の言語に訳して欲しい」といったという話。 指輪と言えばファンタジー中のファンタジーですが、トールキン先生の言ってるのは、如何に「中つ国」という世界にリアリティを感じて貰えるか、という事だと思うんですよね。
制作者側としては、このキャラの出身はギリシャと日本を合わせたような感じで、だから文化的にはギリシャっぽく……と思ったのかも知れないけど、それだと「そういう設定」なのね、というのは分かるけど、キャラにせよ世界にせよ、現実感を持つことは出来ないように思いました。
ところであのゲーム(敢えて名は秘す)、ディレクターがアンジェの1をやってて思いついたんだろうと思った(笑)
いや、わからんではない、わからんではないのだが……。 アレに関してはわーブラック!って言って笑ってるのがいいのであってあんまシリアスに扱っても……まあいいけど……。
このチームのというかディレクターのゲーム、前作もそうだったけどどうもネオロマへのアンチテーゼ感が強すぎてどうも。 面白い部分もあるんだけど。 そこは違うでしょこうでしょ!みたいなのがあるのは分かる。 だけど、それをプレイヤーに押しつけてもどうしようもなかろうが。
プレイヤーは面白い(切ない・美しい・ドキドキする・わくわくする)ゲームを遊びたいだけだよ。
フルスイングでブーメランが還ってくる感じですが、まぁそれはそれ……甘んじて受けようじゃないか(頭に刺さったブーメランを引き抜きつつ)
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